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テニス武勇伝  全日本に出るのだの巻 その8


注意:この文章は一応ご本人達の了解を得ていますが、失礼な点があれば、どうぞお許しください。

        ナナさん = 佐藤直子のニックネーム

        母上   = 佐藤直子の母親のニックネーム


9月23日はテニスの日だ。
その数日前浅越しのぶちゃんから、とても丁寧な断りのメールが来た。それは彼女が真面目に私の頼みを考えてくれ、それに対して礼儀正しく返事をくれたものだった。トーナメントなどでは時々顔を合わせ、挨拶をすることはあっても、しのちゃん(浅越)とはあまりゆっくり話したことはなかった。でも、彼女がとてもちゃんとした人間であることを知って、テニス界の先輩として、嬉しかった。だから、私も一応気をつかって、彼女が私の頼みを断ったことによって嫌な気持ちがしないように、USオープンを最後にトーナメントから引退した彼女の今後を励ますメールを返した。

テニスの日は、日本中の元プロ選手も現役選手もボランティアでイベントに参加し、日本のテニスを盛り上げようという日だ。私は何をやればいいかはっきり分からずに集まるべき時間に有明コロシアムの控え室に入っていった。

「おはようございます」

ソファーに座っていた福井烈君がわざわざ立って挨拶してくれた。彼はいつも先輩を敬ってくれる。
丸山薫君や、溝口美貴ちゃんがすでにいた。そして浅越しのちゃんが入ってきた。私はまさか今日会うと思わずに真面目なメールのやりとりをしていたので、ちょっと恥かしかったが、他の後輩選手達もいたので、そのまま大きな顔をしていた。

「全日本のこと、すみませんでした」

と、しのちゃんがきちんと挨拶してくれたものだから、地獄耳の丸山薫君が聞き逃すわけがない。

「ナナさん、何々?全日本って。まさか出ようとしたんじゃないでしょうね」

薫君とはいつも冗談を言い合う仲なので、私は彼を喜ばせようと、皆さんがここまで読んだ長い話をとりあえずした。薫君も福井君も、途中から入ってきた西尾君もみんな大喜びだ。

「で、結局何人に断られたんです?」

「愛ちゃんでしょ、森田あゆみちゃんでしょ…。(私も可笑しくて仕方なくて笑いながら)ほっといてよ、もう!」
と言った。

そこで選手控え室に入って来た吉田友佳ちゃんを目ざとくみつけて、そういえば友佳ちゃんにはまだ聞いていなかったなと気づき、すかさず心のメモ用紙に「後で吉田友佳ちゃんのメールアドレスを聞くこと。」とメモった。

薫君が
「ナナさん、ミックスがいいですよ。ミックスじゃだめなんですか?」

「んー、ダブルスで活躍したかったんだけど、これだけ断られちゃあねえ。薫君出てくれる?」

「あ、僕じゃダメだ。」

「烈君は?」

「僕とミックス出てどうするんですか。僕なら、杉山愛ちゃんとナナさんが組んでミックス出た方が勝てますよ」

「じゃ、誰か紹介して。」

薫君が
「古庄大二郎、大ちゃんは今でもすごいですよ。ミックスもすごく上手い。」

といいながら、古庄君のバックハンドの真似をした。

「ほんと?古庄君に頼んでみようかな。私の友達が連絡先知っているから」

「古庄・佐藤ペアー。こりゃすごい。話題性ありますよ」

そのテニスの日、私はセンターコートの担当で、センターコートで烈君、薫君、友佳ちゃんたちとチェアーガールと共に踊ったり、キッズのレッスンを手伝ったり、「テニスの王子様」ミュージカルの俳優さんたちとボレーボレー大会に参加した。

センターコートイベントが終わってから、ジュニアレッスンのコートへ移動してその手伝いをした。私はその日京都へ入らなくてはいけなかったので、終了より少し早めに失礼して新幹線に乗った。新幹線の中でオーストラリアへ家族旅行に行っている古庄大二郎君にメールを書いた。吉田友佳ちゃんも電話したが、やっぱりダメだった。

そして、テニスの日のイベントで少し疲れた体を休めようと目をつぶった。
んー、こうなったら山田眞幹君に頼んでみようか。彼は日大テニス部だから、後輩を力ずくで私のパートナーにしてくれるかもしれない。そう思いながら寝てしまった。
京都駅に着いて、タクシーに乗り込んでから山田君に電話を掛けた。

「眞幹君、もうミックスでもいい。誰か優勝できるようなパートナー見つけて」

「はい、わかりました。佐藤博康は?2年前の男子ダブルスの優勝者。リー・ミーと組んで。リー・ミーも上手いから、2人とも聞いて見ますね。」
なんと簡単な。始めから幹眞君に頼めばよかったのだ。私ったら、奥ゆかしいから。

しばらくすると佐藤博康君の電話番号がメールで届いた。なんだ、私が電話するんだ。

佐藤博康君とは以前何かのエキジビジョンマッチで組んだことがあり、すごく上手かったので、私はこれが決ればいいな、と密かに思いながら電話した。

「博康君?佐藤直子です。今年の全日本でミックス組んでくれない?」

「直子さん、ごめんなさい。僕ダブルスに賭けているから、今年はミックスには出ません。」

「あらそう。わかった。残念」

なんと短い電話。ま、しょうがない。

リー・ミー君は面識がなかったので、幹眞君に話してくれるよう、頼んだ。すると、リー君はかなり乗り気になっている。だけどミックスは相性があるから、一度練習してみたい。ということだった。そして、佐伯美穂ちゃんと山田幹眞君、私とリー君でミックスをやってみることにした。

ところがね、言い訳じゃないんですけど、その試合の3日前に私は腰を痛めてしまった。でも、全日本の申し込みは9月30日ということでその9月27日にやらざるを得なかった。

そして、なんと、負けちゃったのね。山田君は元は強くても、今はテニスを教えていてとても全日本(一般)には出られないし、美穂ちゃんはそれは現役ですごく強いけど、リー君と組んで負けたということはね。そう!私がすごく下手だったということ。でも、セカンドやったら勝てたかも。でも、それでも、もし引き分けだったとしてもダメなのね。その程度では優勝なんか絶対無理。一回戦勝つのも無理。あーあ。結局私はすっとこどっこいの夢見る夢子ちゃんだったということ。

その試合の後、幹眞君は仕事で帰り、私と美穂ちゃんとリー君はランチをした。そのテーブルで、私はリー君に私と組まなくてもいいことを快く伝え、リー君は遠慮がちに

「すみません。じゃあ、他の人誰かいないかなあ?」

と美穂ちゃんに聞き、美穂ちゃんのアドバイスで米村知子さんがいいということになった。美穂ちゃんが携帯電話でその場から電話し、リー君と米村さんで組むことになった。

 数日遅れて古庄君から丁寧なメールが返信されてきた。彼もコーチに専念したいので、ごめんなさいというメールだった。


 はい、ここで問題です。私はいったい何人の人に断られたでしょうか?

なんて言っている場合ではありません。せっかくの私の大きな夢、51歳で全日本の一般に出場するという夢は、シャボン玉のようにプチュッと音を立てて消えたのでした。

 ちなみに、2007年の全日本選手権は、高雄恵利加さんが女子シングルスで優勝しました。もう少しで単複優勝できたのに。(おい佐藤!未練がましいのもいい加減にしなさいよ。実力もない癖に、口と態度ばっかり大きくて。) そしてミックスダブルスはあの時私と美穂ちゃんとでアレンジした(あれ?アレンジしたのは美穂ちゃんだけど…)リー君と米村さんが優勝しました。

めでたし。めでたし。


(おわり)
テニス武勇伝は毎週水曜日に更新となります。
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